サッカー日本代表の試合においては、何年経っても忘れられる事がない名ゴールがたくさん誕生してきました。その中から、1990年代後半以降のゴールに関して、幾つか印象的なメモリアルゴールや美しいスーパーゴールを紹介していきます。
ドーハの悲劇から解放された岡野雅行のゴール
日本代表は1993年秋にカタールで集中開催されたアメリカワールドカップ(1994年開催)の最終予選にて韓国を破るなど快進撃を続けていました。そして、10月28日に迎えたドーハでの最終戦において「勝てば他国の結果関係なくW杯出場決定」というところまで辿り着きます。しかし、ロスタイムでの失点により目前でワールドカップ出場の夢は潰え、それから長く国民はその悲しみを引きづってきました。4年後の最終予選でも苦戦が続き、一時は出場が遠のきましたが新星・中田英寿の活躍でなんとか出場に大手をかけました。迎えた第3代表決定戦で試合は延長戦に突入しましたが、そのタイミングで投入されたのが陸上競技選手並みの脚力を持つ俊足・岡野雅行です。 彼は延長戦の中で幾度となく決定機を外して国民をヤキモキさせましたが延長戦終了直前に中田が放ったミドルシュートのこぼれ球を、俊敏な動きで見事に押し込みました。このゴールによって日本代表はワールドカップ初出場を決めたほか、国民は長い悲しみからようやく解放されます。そんなこのゴールは、日本代表の歴史における最大級のメモリアルゴールとして繰り返し映像が流れて続けてきました。
2005年のコンフェデレーションズカップ・ブラジル戦における中村俊輔のスーパーゴール
2002年から2010年まで日本代表の背番号10を背負ってきたファンタジスタ・中村俊輔は、代表の試合において多数のゴールを決めてきました。その中で、フリーキック以外のスーパーゴールというと、2005年のコンフェデレーションズカップ第3戦・ブラジル戦におけるミドルシュートが挙げられます。この試合において日本は得失点差の関係でブラジルに勝たないと決勝トーナメントに進出できない状況でした。そんな中、開始10分に先制されて崖っぷちに立たされますが、前半27分に後方からのパスを受けた中村が反転して左足にて強烈なミドルシュートを決めます。球速・コースなどすべてが完璧であったため、このスーパーゴールによって中村俊輔という選手の価値は世界において一気に高まりました。 ちなみに、2005年にスコットランド・セルティックFCの監督に就任したゴードン・ストラカン氏はこの試合を現地にて観戦しています。そして、このゴールによって中村俊輔が持つ高い能力に絶対的な自信を持ち、セルティックはセリエAのレッジーナに対して獲得のオファーを出しました。その後、中村俊輔はセルティック時代にスーパープレーで欧州の人達を魅了する事になりますが、このゴールがなかったらオファーは来なかったかもしれません。そういった意味で、このゴールは彼の人生を変える大きなものとなりました。
2006年のフィンランド戦における小笠原満男の超ロングシュート
ロングシュートという意味で日本代表の歴史に燦然と輝き続けているのが、2016年2月に開催されたフィンランド戦における小笠原満男のスーパーゴールです。キリンチャレンジカップ2006として開催された親善試合で、日本代表はまず後半開始直後にエースFW・久保竜彦のゴールで先制をしました。この試合に先発出場していたゴールデンエイジ(1979年生まれ)の小笠原満男は、後半12分にセンターラインの少し後方で味方からのパスを受けます。相手ゴールキーパーが少し前に出すぎている事に気づいていた彼は、パスを受けると意表をついて超ロングシュートをゴールに向かって蹴り込みました。そのボールは相手GKの頭上を越えてゴールネットに吸い込まれ、推定距離約60mという歴史的なゴールが誕生します。ちなみにこの試合には他にも小野伸二をはじめとして、1999年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)準優勝メンバーが試合に出場しています。
2010年の南アフリカワールドカップにおける本田圭佑の無回転FK
2010年の春、日本代表の人気はかなり低迷していました。ワールドカップ直前になってもなかなか人気は上がって来ず、関係者の間では心配の声が上がりましたが、開幕戦でニュースターが誕生します。得点力に定評がある若手MF・本田圭佑をワントップに据えるという大胆な策に出ましたが、その奇策は見事にあたり、本田圭佑のゴールで第一戦のカメルーン戦に勝利します。それによって8年ぶりの決勝トーナメントが見えてきたため、これによって一気に代表に対する関心が高まります。また本田圭佑は一躍時の人となりました。 第2戦のオランダ戦はスナイデルの決勝点により勝ち点を伸ばせず、決勝トーナメント進出は第3戦のデンマーク戦次第となります。国民は、スター性のある本田圭佑に大きな期待を寄せて試合を観戦しましたが、彼は決して期待を裏切りませんでした。前半15分に日本代表は右45度の角度からのフリーキックを獲得します。その場所から放った強烈なキックはゴールネットに突き刺さり、日本代表は先制しました。なお彼が放ったシュートはただのボールではありません。キーパーにとってキャッチしづらい無回転シュートだった事もあとから大きな話題となりました。このあと日本代表はさらに2得点を挙げて決勝トーナメントを進出したほか、本田はこの試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出されています。
2011年のアジアカップ決勝における李忠成のスーパーボレー
美しいボレーという意味で、日本代表の歴史の中で印象的な歴代最高の名ゴールと言われているのが、2011年のアジアカップ決勝における李忠成のシュートです。李忠成は2000年代後半に調子を落として選手生命の危機を迎えていましたが2010年に大復活を果たし、その勢いで翌年1月開催のアジアカップのメンバー入りを果たします。ただFWの選手層が厚い中、アジアカップの中でなかなか試合に出られませんでしたが、決勝のオーストラリア戦に延長前半から途中出場し、キレのあるプレーを見せていきます。そして、延長後半4分に左サイドから世界的サイドバック・長友佑都が上げたクロスボールをトラップする事なくボレーでゴールネットに突き刺しました。 このゴールを最後まで守り切ったサッカー日本代表は見事に優勝を決め、完璧なタイミング・コースのスーパーボレーを決めた李忠成は一躍脚光を浴びました。なお、このボレーシュートは何度見ても飽きないという人が多く、YouTube内の動画(非公式)は700万回以上再生されています。
ゴールが決まった瞬間の喜びは決して忘れられる事がない
この他に挙げきれないほどの名ゴールが存在しますが、それぞれのゴールが決まった瞬間に国民が感じた喜びというものは決して色あせる事はありません。そして、ゴール映像がテレビなどで流れる度に、人々はそのとき味わった喜びを思い出します。代表の大事な試合の日に、歴代の名ゴールを動画で見る時間を作ると、試合に向けて気持ちを高めていく事ができるでしょう。